今回は治療家・トレーナーの藏脇健太さんをご紹介します。なんと!藏脇 健太さん、鹿児島県民だということを記事作成する時に気づいたトオリヤマです。同じ県民として、俄然やる気があがりました。
そんな今回の記事はインタビュアー:元ヘルニア美容師スズキ、ライター:トオリヤマでお送りします。
3分で読めて、明日への活力になりますよ。
藏脇 健太さんってどんな人?ーkeyword「憧れ」
生まれも育ちも鹿児島県の藏脇さん。2児のパパさんです。
現在は整骨院でご勤務されていますが、そもそもどういう経緯で現在に至るのか聞いてみました。
小学4年生から高校まで野球をしていた藏脇さん。
ケガも多く、中学生の時に肩を痛めたそうです。
「その時にスポーツトレーナーという職業に出会いました。たまたまの出会いでしたが、純粋に「かっこいい」と憧れを持ちました。」と話す藏脇さん。
高校卒業前の進路選択の際、中学生の時に出会ったスポーツトレーナーさんの姿がフラッシュバックし、「やっぱりスポーツトレーナーになりたい」と思ったそうです。
また進路についての出張講座で、ものの2・3分でテーピング施術をするトレーナーさんの姿にむちゃくちゃ憧れて専門学校へ進学し、国家資格でもある柔道整復師の資格を取得したそう。
「ご両親がそっち系(整骨院やスポーツトレーナ)の方とかではなかったんですか?」by元ヘルニア鈴木
「いや、全く違います。」by藏脇さん
「ライフワーク」と「ライスワーク」
現在、開業せず会社に属する藏脇さん。
今現在は、開業するつもりはなく「みんなの繋がる場」を作り、そこでトレーナーとして活動していきたいそうです。
「そう思ったきっかけって何ですか?」by元ヘルニア鈴木
「ライフワークとライスワークの違い」をオンラインサロン記事で見たとき、
金銭とかを考えずに生涯をかけて取り組みたいものって何かな?と考えました。
考えた結果、トレーナーを育てる場やみんなの繋がる場所を作り活動していきたい!ということに気づきました。
「僕と全く同じです! 」by元ヘルニア鈴木
鈴木さんは現在、雇用されて美容師をしています。一度ヘルニアを経験し、心が先に折れて美容業から異業種へ転職したそうです。
腰痛と手荒れで離職する人たちが多い美容業界。
「ヘルニアになったら最後(終わり)だよ」と散々言われていて、悩んだ末転職。
「それはそれで楽しかったんですけど、次第に体調が戻り、『美容業に戻れるかも…』と思いつつ、一方で開業するにも手続きの面倒さも考えて…」by元ヘルニア鈴木
「オーナーにダメ元で相談しました。前みたいに働けないし、休みほしいし、ゆくゆくは技術を伝える側に回りたいし…」とオーナーに話をしたそうです。
ライスワークとしての軸足は残しつつ、ライフワークの幅を広げていきたい!と話す藏脇さん。
鈴木さんと通じるところがありますね。
実は一度、独立しています!
「ちなみに僕、一度、独立しています」by藏脇さん
「えぇ?嘘?」by元ヘルニア鈴木
資格取得後しばらく治療やトレーナーの学びを得て、22歳の時、経営の勉強のために分院を受け持った藏脇さん。
この分院経営が一番向かなかったそうです。
いざやってみると「店舗を経営するためにこの資格とったわけでもないし…」と葛藤し、その後フリーランスのトレーナーとして働き出したそうです。
「フリーランスのトレーナーってどういう人にどういうアプローチしていくんですか?」by元ヘルニア鈴木
「最初はむちゃくちゃ大変でした。10年前は今みたいにパーソナルトレーナーの認知度も低く、しかも鹿児島はなかなか…」と話す藏脇さん。(同じ県民として、わかります!その気持ち。)
そんな藏脇さんの道が開けたきっかけは、インターンとして勤めていた繋がりから鹿児島のサッカーで有名なクラブチームを紹介していただき、トレーナーとして携わる機会を得ることが出来たそうです。
しかしトレーナーの仕事は夕方がメイン。クラブチームの活動も学校の部活動も土日や夕方が活動時間となると、「平日日中がヤバイ…。仕事がない」と危機感を感じた藏脇さん。
そこで、「この際、パーソナルトレーナーというフレーズを鹿児島で根付かせたい!」と一番の繁華街(天文館)で朝から晩までビラを配り続けたそうです。
「最高!」by元ヘルニア鈴木
「どれか正解か分からなかった…鹿児島でやっている人なんて誰もいないから。
それってチャンスでもあったんですが、方法が分からない分辛かったです。」by藏脇さん
しかし、巡り巡ってお客さんを紹介してくださったりたくさんのご縁をいただいたそうです。
元日本代表サッカー選手のトレーナーを経験ーkeyword「悔しさと無力さ」
「24歳の時、元日本代表サッカー選手のトレーナーをさせてもらいました。それが僕の人生・価値観を大きく変える経験です」by藏脇さん
地道に毎日チラシを配って、こんな田舎の鹿児島でも世界で戦うアスリートのケアができるのか!と思うと自信に繋がったと話す藏脇さん。
海外遠征(ブルガリア)にも同行したそうで、海外遠征が決まった際「これで自分の実力が試せる」と意気込んでいたそうです。しかし…
「何も出来なかった無力感感・絶望感でいっぱいになりました」と話す藏脇さん。
ある時、言葉も通じないスペイン選手のケアを担当したそうです。
その選手はひどい肉離れを起こしていて、しかし、「明日、祖国から家族が見に来るんだ。なんとか1分でもいい。出せる身体に仕上げてくれ」とオーダーをされたそう。
英語も得意ではない藏脇さんは、「This 、pain?(ここ、痛い?)」ぐらいしか聞けず…
「やれる限りのケアをして翌日を迎え、その選手が後半から出場し試合の最後に僕にgoodポーズをしてくれました。とっても嬉しかったんですが、一方で『もっとやれることあったんじゃないか?』と悔しさを感じました」by藏脇さん
そこで、日本に戻りもう一度スキルを磨くため組織(企業)に入り直したそうです。
多くのトレーナーさんに自身の経験を伝えるためにも開業するより組織の中にいる方が伝えやすいと思っての選択だったそう。
「フリーランスで働いていた頃と、社員になった今と変化はありますか?」by元ヘルニア鈴木
「一手、一手を大切にするようになりました。今までは自分のやりたい施術を行なっていましたが、海外に行き様々な経験をする中で自分の思い描くトレーナーとのギャップを感じて。今はもっとスキルを身につけて、たくさんの人にそのスキルを共有したいです」by藏脇さん
「いいですね〜、サボらなさそう! 」by元ヘルニア鈴木
「いやぁ、サボりますよ。」と笑いながら話す藏脇さん。日本代表の選手のトレーナーだったことをひけらかす訳でもなく、謙虚で前向きな姿勢がとても素敵です。
どの業界もですが、本当に素敵な人って都会にも田舎にもたくさんいます。
田舎でひたすらチラシを配っているスポーツトレーナーがここまで来るのって結構大変だっただろうな…と想像すると、「今の自分ってどうだろう⁈」と自身を振り返る機会になりました。
今後の展望
今後の展望として考えていることの1つに…「ホームトレーナー」を1家に1人という文化を作りたい!そうです。
ホームトレーナー、ホーム美容師、ホームセラピーetc…「OK ,Google !」みたいなフランクな感じでホームトレーナーが身近な存在になると良いと話す藏脇さん。
そんな未来が来るとワクワクしますね。今後の藏脇さんの行動に目が離せません!
最後までお読みいただきありがとうございました。