“人との繋がりで好きな仕事をする”
白シャツに黒いハット。 さりげなくオシャレでファッションに関わるお仕事の方とひと目でわかります。
今回はヘアメイクサロンmijas. (ミハス) の経営者である、冨山保(とみやま たもつ)さんにお話を伺いました。
『プロフィール』 ・年齢 50代前半 ・出身 宮城県石巻市 ・趣味 カメラ、読書、映画鑑賞、散歩…
美容師になったきっかけ・・・
幼少期から床屋さんが好きで散髪してくれる過程をじっと見ていた冨山さん。2つ年上のお兄さんの影響もあり、中学生の時には友人の髪を切りお小遣いを作っていたそうです。 “ヘアメイクを仕事にしたい”と思っていましたが、当時は情報も少なかったためその道に進む術がなく美容師の道へと進んでいったのでした。
諦め切れなかった夢
大阪にある美容専門学校在学中に美容院で働きながら経験を積み、学校卒業時には店舗を任されることになったが、“東京”と“ヘアメイク”を諦められなかったと語る冨山さん。
1年後に身体ひとつで東京に拠点を変え美容師として働き始めた冨山さんですが、このまま美容師として生きるのか?長年の憧れであるヘアメイクになりたいのか?と悩んでいたそうです。
勤めていたお店が閉店する事になり3か月のオフ期間が出来、どうにかヘアメイクの道に進めないかと情報を求めていた時に偶然フランスから帰国した美容室オーナーと知り合ったのです。
そして、フランスから帰国した美容室オーナーに『日本に居たって、海外に居たって一緒じゃん』と言われフランス行きを決意。日本に帰るチケットと旅行ガイドと辞書を持って渡航したのが、その後のヘアメイクの夢を叶えるきっかけとなっていったのです。
憧れを追い求めて
片言のフランス語で人に話しかけ生活を始めた冨山さん。“着いてすぐは単語も通じなくてね。最高でした。野宿もヒッチハイクもした。刺激的だった”と笑いながら当時を振り返る冨山さん。
フランスの美容室に行った時に美容師に、日本でヘアメイクの仕事をしたいと伝えると、“やりたいならやればいい”と言われ、日本で始めるには年齢が遅いからと周りの目を気にしていて思い切れなかった事に気がつき決意を固めて帰国。
ヘアメイクと美容院を経営する会社と縁があり、わずか2ケ月でマレーシアに渡り有名化粧品メーカーのメイクを経験。国内外で11年間メイクの基礎を学んだ末現在へと繋がっています。
※自由が丘、青山、銀座での勤務を経て、現在は東京都の飯田橋にあるヘアメイクサロンmijasにてヘア・メイク・お店を展開しています。
お酒を飲みに行く=新たな出会い
コロナの影響で回数は減っているが、昔から飲食店での出会いが人生の方向を変えるきっかけになっている。
SNSを上手くやれていないのもあるが、フリーペーパーへの掲載をしているが集客はあまり期待していない。同じお金を払うなら広告費にするより、知り合いの飲食店に行ってお金を使う方が価値がある。
行った先のお店からの紹介や出会った事が縁で来店する方も少なくない。会って話をした人の方が心の距離が近いし喜んでもらえると思うと冨山さん。
サロンメンバーさんへひと言
一緒に飲みたい!!今はコロナの世の中で大変だけど、みんなどうされてるのかな?と聞きたいと思っているそうです。
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