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2021.05.30

【Hito検索】若いアスリートを支えるお仕事、アスレティックトレーナー 内山陽介さん 】

今回取材させていただいたのは、内山 陽介(うちやま ようすけ)さんです。

内山さんは、アスレティックトレーナーとしてJリーガーを目指す、若いアスリートを支えるお仕事をされています。

内山さんて、どんな人?

静岡県浜松市出身の内山さん。
現在は遠く離れた徳島県でJリーグの1部チーム(徳島ヴォルティス)の下部組織で、Jリーガーを目指す若きアスリートを支えるお仕事をされています。

徳島ヴォルティスが抱える下部組織(ジュニア〜ユース)において、高校生40名ほどの専属トレーナーとして、選手に寄り添い、練習や試合などさまざまな場面でサポート活動を続けられています。


幼い頃からサッカー少年だったという内山さん。
選手時代は日本代表・Jリーガーという夢を目指し、日夜練習に明け暮れておられたそうです。

そんな内山さんが現在のお仕事である「アスレティックトレーナー」に興味を持たれたのは、中学校の時でした。
故障や怪我に悩む日々の中で、選手に寄り添い、選手の夢を支える仕事として、興味と憧れを抱いたことがきっかけでした。

そんな経験から、好きなスポーツに携わりながら、新しい才能を支えるために、専門的な知識と資格を身につけ、現在のお仕事に就かれています。

“アスレティックトレーナー“って、どんな仕事?

競技スポーツで頂点を目指すアスリートたちは、体を極限まで追い込みます。
突発的に大きな怪我が発生することもあれば、日々酷使し続けた身体は慢性的な故障を抱え、パフォーマンスに支障をきたしてしまうこともあります。

一般的な病院で受けられる治療やリハビリは、怪我や故障により機能不全に陥ってしまった箇所を日常的に問題なく動ける範囲まで回復させるためのものです。

しかし、競技スポーツへの復帰を目指すアスリートは、それらの治療だけでは十分な状態に戻れません。
怪我の再発予防、慢性的な故障を抱えないための筋力強化、更には今後のアスリートキャリアプランの設計など、怪我から復帰するまでには長い時間綿密な計画が必要です。

怪我に対する確かな知識とスポーツの種目特性を深く理解した「アスレティックトレーナー」は競技スポーツの世界では大変重要なお仕事です。

自分の力で前に進むための手助けを

競技アスリートにとって、怪我や故障は、身近で重要な課題です。

トップレベルのパフォーマンスを求められる競技スポーツの世界では、種目によって違いはあるものの、選手としてのキャリアは決して長くはありません。

その限られた時間を怪我によって失ってしまうことは選手にとって大きなショックになります。
また、時には怪我を抱えながらも、自分の夢や仲間のためにプレーすることもあります。

そんな選手の肉体、そして精神的な支えとなるのが、内山さんのお仕事。

怪我による離脱から復帰までは、時に長い時間と根気が必要となります。
選手の多くは、肉体的損傷はもちろん、自身の描いていたキャリアプランが崩れてしまうことで、精神的にも非常に大きなダメージを受けます。

そんな選手が再び前を向き、自らの夢に向かって歩み出すまでのサポートには、選手以上の根気と強い想いが必要です。

肉体を酷使する競技スポーツの戦線へ復帰するためには、選手自身の強い意志が必要不可欠だそうです。

そのため内山さんは、選手の悩みや相談の全ては受け入れないそうです。
本人が主体的に怪我と向き合い、自身の夢に向かって自ら歩み出すために、時に自ら判断し、決断させたり、甘やかしてくれる存在への依存を断ち切る行動も選ばれるそう。

何よりも選手の将来を大切に、肉体面・精神面の双方を競技復帰までサポートする内山さんの姿勢から、スポーツ、そして選手への愛情を感じました。

コロナウイルスによって一変した日常

2020年2月から発令された緊急事態宣言。

世界が一変してしまったパンデミックは、全ての人に甚大な影響を今なお与え続けています。

公式戦が相次いで中止となり、チャレンジする機会すら奪われてしまった選手たち。

また多くの選手は、競技成績をもとに、その先の進学またはプロ選手への転向を選択していくはずが、全てのイベントや大会が中止になったことで、成績を受ける資格すら失い、選手は目標を見失っていたそう。

限られた時間の中でキャリア形成に向き合うアスリートにとっては、非常に辛い状態が今なお続いています。

内山さんが所属するチームでは、個々、チーム、どちらも目先ではない未来に目を向けて、“今”できることを一つずつ取り組んでいくという意識のもと、活動休止の時期を乗り越え、選手は前に進んでいるそうです。

西野亮廣エンタメ研究所に入ったきっかけは?

入会されたのは < 2019年2月頃 >

「革命のファンファーレ」を読み、興味を持ってすぐに入会したそうです。

それまでは、職場以外の交流がほとんど無かったそうですが、Facebookをきっかけに繋がったサロンメンバーさんと「天才万博」へ行ったり、「満願寺」の光る絵本展へ行ったりと新しい出会いが増えたそう。

内山さん自身も、エンタメ研究所に入って一番良かったことは日常では関わることがない様々な属性や場所の人達との、「出会い」だと仰られていました。

「えんとつ町のプペル」を観て

内山さんの映画の感想は「夢に向かう子供たちを支えるものとして、襟を正された」でした。

競技スポーツに関わり、厳しい場面に幾度も立ち会ってきた内山さんは、選手にも常日頃、挑戦すること、信じる事の大切さは伝えていたそうですが、改めて真っ直ぐにそのメッセージが込められた作品を見て、自身の背筋が伸びたそうです。



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